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水油の油壺と
伽羅の油入りの蛤貝
「女用訓蒙図彙」より
●伽羅の油の歴史


「百人女郎品定」より
右の髪を結う女性と左のお歯黒をつける女性の間にサネカズラ入れが見える
(*1)
「まんていかとは猪の油の蛮名なり、享保のころまではゐの油をつかいしとみえたり」(「歴世女装考」より)
(*2)
「待賢門院の堀川、上西門院の兵衛、をとゞ日なりけり。夜ふかくなるまでさうし(草子)をみけるにともし火のつきたりけるにあぶらわたをさしたりければ世にかうばしくにほひけるを堀川、ともし火はたき物にこそ似たりけれといひたりければ、兵衛、てうじがしらの香や匂ふらんと付けたり。いとおもしろかりけり」(「今物語」より)
(*3)
「伽羅の油は正保、慶安の頃より京室町町髭の久吉売りはじむ。其後京三条の宇賀 縄手五十嵐 江戸にては芝のせむし喜左衛門うる」(「本朝世事談」より)
(*4)
「むかしは女のきやらの油つくるといふは遊女の外なかりし…」(「世間娘気質」より)