「今様柳語誌」水野年方画(明治21年)
明治21年に描かれた「今様柳語誌(いまようやなぎごし)」。
立場の異なる六人の女性たちが描かれています。
明治らしく洋装の女性もいますが、この頃、まだ一般の人はほとんど江戸時代と変わらない生活を送っていました。
当時は着ている物や髪型を見れば、だいたいの歳と立場がわかりました。
(右上)
「令夫人」 雲の上高嶺の花と見上げられ
身分の高い人の奥方。既婚者ですから髪は「丸髷」です。
髷が大きく手柄が紅なので、若奥様ですね。
髷は若い人は大きく、年齢が上がると小さく結いました。
櫛と簪は鼈甲です。
(右下)
「商家の細夫」 経済は妻も帳簿の〆締り
商家のおかみさん。
こちらも「丸髷」ですが、髷は小さめで地味な手柄ですので、ベテラン主婦といったところでしょうか。
手柄の色は、若い人は紅や桃色、年齢が上がると水色、藤色、鳩羽色などになりました。
(中央右)
「権妻」 居間よりもお髪の塵を拂ふ役
「権妻」はお妾さんのこと。
髪は「三つ髷」(三つ輪髷)という銀杏返しと丸髷を合わせたもので、お妾さんの代表的な髪型です。
三つ髷は庶民に限らず武家のお妾さんにも結われました。
(中央左)
「芸妓」 三味線で調子を合わす妓の手際
すらりとした立ち姿に粋な着物の芸妓さん。
髪は「つぶし島田」です。
つぶし島田は江戸時代後期に若い娘の間で流行した髪型ですが、明治以降は芸妓など粋筋の女性に結われるようになりました。
(左上)
「豪商の娘」 裁縫も上手に父母の仕つけがら
豪商のお嬢さん。
髪は娘の代表的な髪型、緋色の鹿の子絞りの「結綿」です。
簪も若い娘らしく華やか。
黒襟をかけた綺麗な着物を着ています。
江戸では上等な着物に黒襟をかけ、普段着として着ることが流行しました。
この場合の黒襟は倹約のためではなく、普段着らしく見せるためのもの。
宵越しの金は持たないという江戸っ子らしい見栄と気性が反映されたものでした。
この娘さんの着物もなかなか高価そうです。
(左下)
「令嬢」 實(実)を結ぶ花洋学に心ざし
明治は洋装と和装が混在する時代。
ヘアスタイルも和と洋が共存していました。
当時の洋髪は、三つ編みを結い上げたり、髪を捻り上げて毛先を巻き込んだアップヘア(束髪)が主流。
明治18年には「夫人束髪会」が結成され、絵のようなドレス姿にはもちろん、着物にも似合う束髪が数多く考案されました。
とはいえ、一般の女性はまだまだ着物姿に日本髪がほとんどでした。
この絵が描かれた後、明治時代後半には「あげまき(夜会巻き)」、前髪を大きく膨らませた「ひさし髪」、大きなリボンをつけた女学生スタイルなどが流行。
大正時代になるとライフスタイルの変化から洋服を着る女性が増え、着物の減少とともに、日本髪も衰退の道をたどるのでした。